立花家十七代が語る立花宗茂と柳川
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立花家至宝展など

ご無沙汰いたしました。昨年の暮れから今年の正月にかけては、結構忙しい日々をすごしました。まず昨年末に三柱神社の拝殿が竣工し、私も早速宗茂兜のレプリカを奉納いたしました。横綱白鵬からも、竣工記念の横綱がすでに奉納されていました。完成した拝殿は、まだ飾り金具などが取り付けられていませんでしたが、木の香りもすがすがしい落ち着いた拝殿になっています。

三柱神社の拝殿が竣工正月には早速初詣をいたしましたが、大変多くの参拝者が詰めかけ、拝殿の完成を喜んでおられました。本殿は、幸い焼失を免れましたが、老朽化が進んでいるため、次は本殿の修復工事を進めることになるでしょう。

1月10日には、福岡県立美術館で「立花家の至宝」というタイトルで、当家の刀剣、甲冑、古文書、その他さまざまな御道具類約200点が展示される展示会のオープニングでご挨拶をいたしました。今回の展示会は、この規模の展示物が、柳川を離れるのは始めてのことであり、私もこれだけのものが一同に展示されたのは初めて見ましたし、また展示物のなかにも、初めてみるものもありました。
鼎談翌日の11日には、柳川御花で、東大史料編纂所の山本博文先生をお迎えし、「勇将たちの友情、-立花宗茂と島津義久-」と題する講演を頂き、その後、島津家32代御当主島津修久様を交えての鼎談をいたしました。修久様のゆったりとしたご性格、山本先生の博識もあり、鼎談は大変楽しい時間でした。お聴きになられた皆さんも楽しまれたと思っています。

島津藩は、宗茂の実父高橋紹運を岩屋城で滅ぼしたことから、柳川では宗茂の仇敵と観る人が多いのですが、宗茂と義久は文禄・慶長の役では朝鮮で共に戦い、また関が原合戦のあとでは、お互いに敗軍の将として、兵庫浦で合流、日向泊まで同道し、別れの際は、宗茂が義久を訪ね、互いの無事と再会を喜び合ったという記録が残されています。義久と宗茂は年齢差が32歳です。18歳で養父、実父を亡くした、宗茂にとっては、勇猛な義久に父の面影を重ねていたのかも知れません。

1月22日には、県立美術館で「守るということ」と題した記念講演を行いました。いかなる旧家でも、先祖伝来のものを守っていくことは、経済的にも大変なことです。自分で収集したものでしたら、お金が必要な時は手放してしまえ、という決断も出来るのですが、何百年と歴代の当主、家臣が命を賭け、名誉を賭けて守り通してきたものを受け継げば、なんとしても後世に伝えていかねばという強い気持ちを持つのは当然であります。自分の代でそれらを失ったとすれば、まさに、ご先祖様に申し訳ない、顔向けが出来ない、ということになります。また、これ等文化遺産は、もう個人のものというより、地域共有の文化遺産であり、やはりその地にあってこそ、その地域と文化遺産双方の価値が高まるものと思います。幸い、講演は視聴覚室が満席状態になる盛況でした。この展示会では、九州大学のボランテイアの方々が、自ら勉強され子供向けに分かりやすいパンフレットを作り、またギャラリートークを行うなど、大変協力していただきました。まだ2月15日の閉会までにこのボランテイアの皆さんのお話もありますので、機会あればぜひご覧になってください。

2009年2月 立花家17代 立花宗鑑


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