立花家十七代が語る立花宗茂と柳川
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立花宗茂展を開催します。

特別展「立花宗茂」開会式皆さん、ご無沙汰しています。筆不精のせいで、すっかりこのコラムも更新されずに申し訳ないです。

実は11月13日から柳川御花の史料館で特別展「立花宗茂」を開くことになり、本日、開会式に参列しました。今回の企画展には、数多くの方々のご協力を得て、個人、寺院などからも出展をいただき、初めての宗茂展として、大変充実した史料が展示されることになりました。宗茂ファンのとっては、必見のものです。是非ご覧ください。

展示の最初のコーナーで二人の父親として、戸次道雪、高橋紹運が取り上げられていますが、今回のコラムではこの二人のことを取り上げてみます。

武将の鑑としての、道雪、紹運

白虎隊で有名な会津藩の藩校(日新館)で武士の子弟が学ぶ教科書として日新館童子訓という本があります。武士の振る舞い、生き方に対する心構えを10歳ごろから武士の子供たちに植え付けるために第五代藩主松平容頌が編纂したものですが、このなかに武士の鑑として戸次道雪と高橋紹運の二人の父親が取り上げられています。

高橋紹運肖像(左:天叟寺所蔵) と戸次道雪肖像(右:福厳寺所蔵)道雪公は脚が不自由でもあったに関わらず、戦いの戦略に優れ、戦場では輿に乗り陣頭指揮をとった武将として有名でが、教科書では “武勇たくましく士卒に接する態度は、親が子に接するがごとし” として、上に立つものの部下への心配りと接し方はかくあるべしとという模範として、取り上げられています。

例えば、なかなか武勲が挙げられない者には、“お前が勇者であることは、良く分かっている、功を焦って無駄死にするではないぞ、必ずその機会がくるから、その時ははげめよ” と慰め、また、宴席などで失態を犯した者には “この者はかような席では、甚だ武骨であるが、戦場においては、かくかくしかじかの働きをした勇猛な者である” と皆の前でかばってやる、そして部下はこの人のためなら、という思いで結束する、など誠に人の機微に通じ、智と情を備えた理想のリーダーとしてのエピソードが取り上げられています。

また紹運公は、このコラムにも以前書きましたが、岩屋城で、島津勢の大軍を相手に、数度の降伏勧告をはねのけ、七百数十名の部下とともに壮烈な最後を遂げるのですが、この時期は紹運が仕える大友家はすでに命運が尽きる寸前でした。しかし、“国衰えても義を守って節を変えず。君君足らずともよく臣節を尽くしてこそ真の武士であろう” として、降伏を断り義に殉じ城を枕に討ち死にするわけですが、この態度こそが武士の鑑であるとして取り上げられています。良い悪いは別にして、鶴ヶ城に籠城した会津藩士の戦い方の原点にこの教えがあったのでしょう。

教科書が編纂されたのは1804年で、紹運、道雪が亡くなってすでに200年以上を、経ています。200年後にも取り上げられているということは、いかにこの二人が武士の鑑として語り継がれてきたことの証でもありましょう。

これからは、おまけです。
組織の中で働いている皆さんには、上司が道雪公であったらもっと生き生きと働けるのになァ〜〜と思われることおいででしょう。私のところに来て、“私は道雪公の大ファンです。上司にも、上に立つ者かくあるべしと、道雪公の話をいたしました” と言ってきた若い方がおいででした。“ほー、それは良かったね、それでどうだった?” と聞きましたら、頭をかきながら “いやー、ボーナス減らされました。上司に道雪公を見習えと説教しちゃいかんですねー。自分が上司になった時に見習えば良いことだ、と悟りました” とのこと、皆様もお気を付けください。

2010年11月 立花家17代 立花宗鑑


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