立花家十七代が語る立花宗茂と柳川
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豊臣秀吉判物
豊臣秀吉判物
天正十四(1586)年九月十日
豊臣秀吉判物 立花文書
立花文書40
翻刻文
天正十四年六月中旬、島津氏は九州平定を企図し、大軍を北上させます。立花宗茂の実父高橋紹運の守る筑前国岩屋城も陥落、紹運は敗死します。次に宝満城も攻め落とし、遂に立花城を包囲します。しかし、島津氏が包囲を解いた隙に、島津方の星野氏が守る高鳥居城を落とし、また宝満・岩屋の両城も奪取します。このことを聞いた秀吉は、宗茂を「九州之一物」と激賞し、褒美として「新知」つまり新しい所領を与えることを約束しています。こうして、立花家は大友氏の家臣から大名へとなるのです。なおこの書状は、もともと宛所の一人である黒田家に伝わったものでしたが、寛文年間に立花家が所望し、同家の所有となったといわれています。

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翻刻文
立花左近将監対
両三人注進状并首
注文、今日於淀到来
披見候、高鳥居城ヘ
取懸、則時責崩城
主初星野中務少輔・
同民部少輔其外随身之
者、数輩討捕之段、
無比類動絶言語候、今
度味方城二三ヶ所
不慮之處、無異儀
相拘候儀さへ奇特ニ被
思召候處、如此之段
誠九州之一物ニ候、為
褒美新地新地一廉可
被仰付候条、立花
家中粉手之者共ニも
令支配、弥可相勇之
由、可申聞候、自是
以後聊尓所之行不可
仕候由、可相達事専一候
也
九月十日 (豊臣秀吉花押)
     安国寺
     黒田勘解由とのへ
     宮本入道とのへ

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