立花家十七代が語る立花宗茂と柳川
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Vol.09 純姫の婚礼調度 2007/4

人生の晴れ舞台である結婚式。現代ではすっかりジミ婚が主流ですが、江戸時代、将軍家や大名家といった上層階級の結婚には多くの決まり事や儀式が必要とされました。大名家の結婚は幕府の許可制で、縁約から結納、婚礼に至るまで、その都度伺いを立てる必要がありました。幕府や大名それぞれの政治的な思惑が入り交じるなか、身分不相応な婚姻や私的な婚姻は禁じられていたのです。

婚礼に際しては、その家の家格に相応しい婚礼調度、すなわちお嫁入り道具が誂えられました。江戸時代の婚礼調度は数十〜数百種類からなり、現在の私たちの想像をはるかに超えるものです。文房具、楽器、喫煙具、化粧道具、香道具、茶道具、飲食具、遊戯具、装束類、書画、運搬具、武具など、日常生活や特別な儀式の場において、女性の生活に必要とされたあらゆる調度が婚礼のために誂えられました。それらの大半は、女性の実家の紋章が付けられ、揃いの意匠で統一されました。江戸藩邸の婚礼の場において、大揃いの蒔絵調度が一堂に飾られた様子は、さぞや見応えのある豪華なものであったことでしょう。

葵紋の蒔絵調度柳河藩主立花家には、葵紋が付けられた揃いの蒔絵調度、約70件が伝来しています(図1)。これは、弘化4(1847)年に御三卿の一つである田安徳川斉匡の娘で13代藩主立花鑑寛へ嫁いだ純姫の婚礼調度と考えられています。黒漆地に葵紋松唐草蒔絵の仕様や葵紋のみの仕様、村梨子地に葵紋唐草蒔絵の仕様などが見られ、その用途は文房具、香道具、化粧道具、飲食具などさまざまです。

なかでも葵紋松唐草蒔絵の調度は最も数量が多く、その内容は耳盥みみだらいや櫛台、手拭掛や鏡立など化粧道具が中心で、他に双六盤などの遊戯具もみられます。そして、これらを誂える際に作成された「御厨子御黒棚並御小道具絵図帳」(東京国立博物館所蔵)という史料が現存しており、江戸時代後期における大名家婚礼調度の製作状況の一端を垣間見ることが出来ます。

「御厨子御黒棚並御小道具絵図帳」は全三冊からなり、田安徳川斉匡の三女鑅姫、一六女純姫、一九女筆姫の婚礼調度について、その寸法や内容品、塗や粉の種類、金具などの仕様にいたるまで詳細に記してあります。
純姫の婚礼調度について記されているのは二冊目で、厨子棚・黒棚・書棚の三棚とその棚に飾る化粧道具や文房具など小道具類の注文帳です。全87件157点の調度について、木の材質や漆塗りの技法、蒔絵に用いる金粉の種類、房紐や外箱の仕様にいたるまで図を交えて詳細に記し、細部の寸法や家紋の配置まで記しています。少し長くなりますが、一例をあげると、厨子棚と黒棚の仕様については次のように書かれています。

「木品桧惣躰布着セ堅地黒仕立蝋色、上ニ金粉小判鈩子取交松唐草御紋散中高蒔絵、御棚裏底裏小判蒔立濃玉村梨子地、御戸棚惣躰内廻リ梨子地同断、中段戸棚御扉見帰リ御蒔絵粕上ニ金粉小判焼金取交高蒔絵、下段戸棚御扉南天御蒔絵上ニ金粉小判焼金取交実上ニ金粉小判朱漆取交山岸錆上ケ切金入高蒔絵、御黒棚中段戸棚御扉見帰リ恵比寿大黒御蒔絵上ニ金粉小判焼金取交切金入鯛朱漆高蒔絵 (後略)」

これによると、材質は檜製、その胎に布着せをして下地付けを行い、油分を含まない漆を塗り、炭で研いで繰り返し磨き、艶仕上げを行っています。そして、二種類の蒔絵粉を取り交ぜて、葵紋散・松唐草模様を中高蒔絵で表しています。そして底裏や棚の内回りなどの見えない部分は水玉模様の濃梨子地で仕上げ、二段目・三段目の扉の見開きには南天模様と恵比寿・大黒天模様を、立体感のある高蒔絵で表しています。南天の実や恵比寿の持つ鯛は朱漆を用い、土坡の部分は錆上げで切金を蒔くなど、細かなところまで具体的に記述されています。

渡金箱立花家に伝来する約30件の松唐草蒔絵調度のうち、この注文帳に記載された調度に合致するものが数点あります。例えば渡金箱(図2)や油桶、合子、三つ組みの櫛などです。蒔絵調度の他にも銀製の化粧水入れ、鐘子、鉄漿次、象牙製の箆、畳紙(図3)などが一致しています。畳紙

現存する調度のうち、注文帳に合致するものは三棚に飾る化粧道具のみです。しかし、実際には手拭掛や湯桶・盥、双六盤なども現存しており、当初は三棚飾り以外の注文帳も用意されていたことが考えられます。また一方で、厨子棚や黒棚、香道具や文房具など、注文帳には描かれていても現存していない調度も多くあります。しかし、寸法や紋の配置まで詳細に記されたこの注文帳から、それらが実際にどのような調度であったのかをありありと思い浮かべることが出来るのです。

江戸時代中期以降、各藩の財政が逼迫していた中で、大揃いの婚礼調度を誂えるのは大きな財政負担を強いられました。しかし婚礼調度にはその家の格式を示すという重要な役割があり、相応の種類と数の調度を揃えなければならず、江戸時代後期には調度の塗り直しや使い回しも多く見られました。そのような時代において純姫の婚礼調度は、材料から技法まで丁寧に吟味され製作された様子が注文帳から窺えます。

純姫の松唐草葵紋散蒔絵調度は、所用者(田安徳川家から嫁いだ同姫)、製作年代(弘化年間)、伝来(柳河藩主立花家)と由来が明確で、数量もある程度まとまって現存しており、貴重な作例と言えます。さらにその製作に関する注文帳と照らし合わせることによって、江戸時代後期に誂えられた調度の質や製作実態など、さまざまな事柄が見えてくるのです。

鍋島報效会 徴古館 学芸員 野口朋子


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