立花家十七代が語る立花宗茂と柳川
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立花宗茂書状
(折紙、35.3×53.0)
立花宗茂書状
翻刻文
小野内右衛門尉から普請の様子を聞いた宗茂が、その状況に満足していることを伝え、さらなる精勤を督している。柳河藩は元和9年(1623)より大坂城石垣手伝い普請をおこなっているが、「其元普請」とはこのことを指すと考えられる。

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翻刻文
【釈文】
小野内右衛門尉罷下、其元」普請之様子具承候、」各別而被入精候故、一」段墓行申候由、令満」足候、苦身之段難」申盡候、弥肝煎」専一候、尚小野若狭所」迄申越候、銘々以書状」辛労之段可申候へ共、」重而使可差上候」間、其節可申候、」いつれも不残此由」可被申聞候、謹言、」
三月廿八日
宗茂(花押)
立花三太夫殿
谷田彦左衛門尉殿
其外[      ]
:スリキレ(破損のため判読不明)

【読み下し】
小野内右衛門尉罷り下り、其元普請の様子具に承り候、各別して精を入れられ候故、一段墓行き申し候由、満足せしめ候、苦身の段申し尽くし難く候、弥肝煎専一に候、尚小野若狭所迄申し越し候、銘々書状を以て辛労の段申すべく候え共、」重ねて使差し上ぐべく候間、其の節申すべく候、いずれも残らず此の由申し聞かさるべく候、謹言、
三月廿八日
宗茂(花押)
立花三太夫殿
谷田彦左衛門尉殿
[      ]
:スリキレ(破損のため判読不明)

【語句】
*小野内右衛門尉…不明。
*墓行(はかゆく、果行・捗行)…物事が早く進む。はかどる。
*肝煎(きもいり)…あれこれ世話すること。斡旋すること。
*小野若狭…小野茂高ヵ。大組頭。元和9年から始まる大坂城石垣手伝い普請の柳河藩責任者となっているようである。寛永5年(1628)9月大坂にて客死。
*立花三太夫…立花政泰。寛永五年大坂城石垣手伝い普請に従事(「士民ノ事蹟」柳河藩立花家文書102)。「寛永六年侍帳」に450石で立花河内組の番頭として名が見える。
*谷田彦左衛門尉…谷田貞俊ヵ。


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