立花家十七代が語る立花宗茂と柳川
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立花宗繁書状
(折紙、36.0×53.6)
立花宗繁書状
翻刻文
助兵娘の祝言を来たる24日に行うことについて同意を示したもの。しかし、密かに執り行うようアドバイスする。24日には宗繁からも一人遣わすことを伝える。また乗物の移動させる人足が必要か聞き、遠慮なく返事に書くように言っている。

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翻刻文
【釈文】
少用御座候而、其元へ」人を差遣候条、乍次而」一筆令啓達候、先日も」壱人を以如申候、助兵娘之」儀来ル廿四日吉日之由ニて、」祝儀可被相調之由、」一入尤ニ令存候、左候ハヽ、いかにも密ニ被成可然」存候、廿四日ニハ此方も」壱人遣可申候条、」其御意得可被成候、為御」心得一筆如此ニ候、又」乗物廻し候人足なとも」遣可申候哉、無御隔心」御報ニ可被仰聞候、恐惶謹言、」
(寛永三年ヵ)
立花宗繁    
八月廿二日
昌俊(花押)
谷田六郎兵衛殿

【読み下し】
少用御座候て、其元へ人を差し遣わし候条、次いで乍ら一筆啓達せしめ候、先日も壱人を以て申し候如く、助兵娘の儀来る廿四日吉日の由にて、祝儀相調えらるべきの由、一入尤もに存ぜしめ候、左候はば、いかにも密かに成られ然るべく存じ候、廿四日には此の方よりも壱人遣わし申すべく候条、其の御意得成らるべく候、御心得の為一筆如此くの如くに候、又乗物廻し候人足なども遣わし申すべく候哉、御隔心なく御報に仰せ聞かさるべく候、恐惶謹言、
(寛永三年ヵ)
立花宗繁    
八月廿二日
昌俊(花押)
谷田六郎兵衛殿

【語句】
*助兵…矢島助兵衛ヵ。『柳河藩享保八年藩士系図』によれば、谷田行篤の三女は「矢島助兵衛養子となり、十時摂津後妻」」とある。
*隔心…心にへだてがあること。うちとけないこと。よそよそしいこと。また、その心。
*立花宗繁昌俊…内野喜代治『立花内膳家』によれば、立花直次の三男で、忠茂の兄。島原陣では三池藩主立花種長が年若のため、宗繁が三池勢を率いた。上内村千石を知行。立花内膳家の祖。寛文4年(1664)卒。
*谷田六郎兵衛…谷田行篤ヵ。


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